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勉強

 二〇〇七年 九月。


 去年あたりから、大学に行ってきちんと勉強してみようかと考えている。仕事をしながら行こうと思っているから、まず都合のいい仕事を探さなければならないし、体力的なこともあるし、まだ二、三年はかかりそうだ。

 始めは単なる感覚や気分の外に出て、自分を客観化し、よりコントロールしやすくするために勉強しようと思った。だが、最近は勉強することは、この世界と自分自身に対するリアリティに関わるのではないかと思うようになった。そして、この二つは結局は同じ事だろう。

 小学生の頃は単に好奇心を満たすため、或いは、周囲の現実に適応するために勉強していた。それ以上、何のために勉強するのかなんて考えなかった。

 十代半ばで精神を病むと、勉強して何になるのか、そもそも生きていて何になるのかと感じていたが、知識はないよりはあった方が生きる上で有利だろうと思った。しかし、生きる上で有利といっても、そもそも生きる意欲そのものが、減退しているのだからどうにもならない。

 それでも、勉強することしか知らないからなのか、内面の空虚な自分を勿体つけようとしていたのか、執念深く勉強を続けた。

 病気で気力や思考力が低下しているからなのか、知識を体系的に組み立てることができず、それは雑学的に平坦に拡がっていくだけで、それが不満で仕方なかった。それで出来もしないことをしようとするのは傲慢だと考えることにして、当時はとても太刀打ちできないほど強大に見えていた病から何とかすることにした。

 病との闘いのなかで、自己イメージや身体感覚は変わっていった。それは強烈なリアリティをもった感覚だった。しかし、それは細部のよく見えない巨大な感覚の塊だった。始めは自分に起きた変化に興奮したが、やがてただ気分や感覚をいじくっているだけに思えてきて、一気に気持ちは冷めた。

 しかし、病との闘いのなかで経験した変化の記憶があまりに強烈で、そして恐らく同時にそれ以前のいくら勉強しようとしても細かい知識をどうしても体系的に組み立てることが出来なかったという挫折の経験もあって、他にどうしていいのか分からず、とりあえず身体感覚に執着してしまった。

 かつて勉強しようとしても思うように出来なかった経験から、もっと自分を鍛えて、自分をもっと上手くコントロールできるようにならなければならないという思いがあり、ただ気分や感覚をいじくっていても仕方がないのではないかという疑念を抱きつつ、しかし、気分や感覚に執着した。







 病院の近くの大学の理工学部で学園祭をやっていて、立ち寄ってみた。一昨年のことだ。黙々と何かを生み出そうとする静かな熱気と、空調機器と配管で覆われた巨大な工場のようなごつごつした建物の質感が印象に残った。

 やがて、段々と、子供の頃の物理学者になりたかった思いが、蘇ってきた。子供時代への単なるノスタルジーに過ぎないかもしれないが、大学に興味を持った。

 始めは、意識を外に向けて自分を客観視するために勉強しようと思った。しかし、最近は勉強することは世界や自分に対するリアリティに関わるのではないかと思うようになった。

 病との闘いのなかで得た感覚は、強烈なリアリティをもったものだった。この世界が特定の意志を持って動いているように見え、その意志と自分の内面が密接に干渉し合っているようだった。ひとりでこの世界を包囲しているような緊迫感と、予め全てを知り尽くしているような全能感があった。

 しかし、実際には具体的に何が理解できているわけでもなく、それは直感や勘の域を出ず、そこからは何の方向性も見出せなかった。この世界をただ現在という一点でなぞっているだけに思えた。勉強することで、そのリアリティに拡がりを持たせることが出来るのではないか。



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肉体寄りの感覚

 二〇〇七年 九月。


 



 具合の悪さの中で考えた。気力や体力が衰えているのだ。観念的なことばかり考えていないで、もっと身体や肉体寄りの感覚を作り直すべきだ。






 以前、そのようにして病に闘いを挑んだことがあった。

 瞑想したり、散歩したりしているうちに、身体感覚や自己イメージは変わっていった。

 私は、生きることは無意味だと思っていた。それでも、生きることを選択したつもりだった。しかし、それがとてつもなく苦しかった。

 しかし、あるときふと思った。

 よく考えれば本当に生きる無意味を受け入れたのなら、そんなに苦しむはずはない。勉強しようとすることも、瞑想することも、その他のあるゆることがその無意味に対抗するための行為に過ぎなかった気がした。

 そもそも生きることに、意味を感じるとはどういうことなのか。それが充実感などの気分のことであるのなら、充実感をもって生きていようが、むなしさにさいなまれながら生きていようが、それは気分に過ぎない。人間の意識が気分だけで出来ているわけではない以上、そのことに過剰にこだわる理由はない。思考はもっと別のところで、回すべきだ。

 そう考えると、かつて私を打ち倒した絶望は消えた。悪い夢から醒めたようだった。

 しかし、同時に瞑想も勉強も全て、結局死に物狂いで感覚や気分をいじくっていただけのような気がしてきて、失望した。

 かつての絶望が生きることの意味を求めながら、それをどうしても得られないという、情熱の裏返しだとすれば、このとき感じた失望はそれとは対極にあるような非常に冷めた感情だった。そんな冷めた気分は初めてだった。

 戦うだけの覚悟も、逃げ切るだけの自信もなく、ただ静かな死だけを願う冷めた老人になった気がした。

 しかし、やがてそのような冷めた気分の中にこの世界や自分自身に対する奇妙な確信のようなものが芽生えた。そして、それが自分の中で確実に育っていくのが不思議だった。






 私は小学生の頃、喘息持ちだった。発作を起こしていないときでも、常に身体はだるく重かった。少し走っただけでゼーゼーと息苦しくなった。それで、友人と遊ぶこともほとんどなく、家でごろごろしてばかりいるような子供だった。自らの貧弱な肉体にすっかり失望して、精神だけの存在になれたらどんなに楽だろうと、そんなことばかり夢想していた。

 精神を病んでからも思うに任せぬ自らの肉体や気分からは目を背け、意志の力だけで重い身体や心を引き摺ることしか考えられなかった。

 しかし、やがてそれではにっちもさっちもいかないことを思い知る。それでようやく自らの肉体や気分や感情と向き合うようになり、身体感覚や自己イメージは変わっていった。

 単に気分や感覚をいじくっていただけだと思ったが、絶望から抜け出したというだけでなく、実は整理されずばらばらだった心と身体がそれなりに上手く統合されたのかもしれない。それで、いつの間にか自分自身に確信を感じるようになったのかもしれない。

 絶望から抜け出したとき、同時に生きることに意味を求める情熱を失った気がした。だが、今考えれば、生きることに意味を求める情熱といっても、何か具体的なものを求めていたというより、むしろ何を求めていいのか分からなくてもがいていただけだった。別にかつての自分が真剣で深い人間だったというのではなく、不安や不満による何の実効性もない力みを情熱や努力と勘違いしていただけだ。

 絶望から抜け出した後、全ては生きる無意味に抵抗するために気分や感覚をいじくっていただけな気がして失望し、次に進む方向を見失った。身体は、私の頭の中と現実の世界を接続するものだ。身体について考えることは、単なる空想と現実の世界を繋げる入り口になるはずなのに、進むべき方向を見失ってしまうと、単に気分や感覚に果てしなく強迫的になって、身体について考えれば考えるほど、思考は周囲の現実から切断されて、空回りした。しかし、新たなものが見えつつある今、以前より上手く出来そうな気がする。 




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三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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