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12月の出来事




 12月に入ると、ある個人的事情で突然頻繁に出掛けねばならなくなった。



 まずはじめは目の前の状況に対応するので精一杯で、いつものように自分の気分や感覚に注意を払う気になれなかった。また自分の意志とは関係なく、状況に振り回されている感じが不快でならなかった。そして、それが私を酷く疲れさせた。その疲労は頭痛と腹痛を伴い、これはもはや休んでどうなるものではなく、身体自体がどうにかなってしまっているのではないかと感じるほど病的なものに思えた。



 以前はコンクリートで出来た建造物を出たり入ったりしている人間という動く肉と骨の塊は見えても、そこに人間どうしの繫がりというものを実感できなかった。しかしたびたび出掛けているうちに、街の賑わいに憧れを抱くようになった。だがそのような賑わいに意識を向けると、この世界の物質としての現実感が薄れていく気がした。いわばこの世界が何年か前に流行った、セカンドライフのような作り物の空間に見え始めたのである。しかし今元気で楽しそうにしている家族や恋人たちもやがて皆年老い、衰え、死んでいく。つまり彼らの喜びも悩みも、全てほんの一時の非現実的な幻に過ぎない。そう考えると、この世界の物質としての現実感が甦ってきた。そして、それを心地好く感じた。要するに私は人間たちの賑わいから距離を置いた、この静かで冴えた感覚が好きなのだ。



 かつてはほとんど家から出ることがなかった。だから外出するというのは私にとって非日常的行為といえた。まず短期間に何度も出掛けているうちに、家と外との敷居が低くなった。しかしそれは家にいるときのような緊張感の欠けた状態で、自分の意志とは関係なく状況に振り回されながら、外の空間をぼんやりと移動しているだけともいえる。だが12月の後半になり状況が落ち着き始めると、状況に対して冷静に身構える感覚が戻ってきた。そして、12月に入ってから続いていた頭痛と腹痛も薄れた。また、自分の感覚と思考に再び意識が向き始めた。すなわちそれはただぼんやりと空間の中を漂っているのではなく、澄んだ意識で周囲の空間を捉えているということである。



 12月26日、外を歩いていた。はじめ自動的に深い呼吸が維持されるだけで、それ以上に何を感じるわけでもなかった。しかししばらくすると、息を甘く感じた。因みに、私は自分の息を甘く感じる。それは味でも匂いでもないが、甘いとしか表現しようのない感覚である。そしてその感覚を意識していると、それは指の一本一本の感覚にまで絡みつき、やがて周囲の空間に拡がっていく。またその感覚が私の身体を脂肪のつきにくく、筋肉のつきやすいものとしている。しかし、その感覚は多くのエネルギーを消費する。したがってもともと太っていたわけでもないのに、じりじりと体重が減り続けている。そしてそれを意識し始めた10数年前から、既に10キロほど痩せてしまった。



 さてこの日は甘い息を感じたが、それが熱気に変わることはなかった。



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物悲しい気分



 11月の終わり、それまであまり感じたことのない物悲しい気分になった。



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寛いだ気分




 11月26日、よく行くカレー屋で昼食を取っていた。するとあまり感じたことのない寛いだ気分がした。あえて「家にいるように」とは言わない。なぜなら家では寛いだというより、疲れてぐったりとしているだけだからである。そしてその気分は、出掛けている間中ずっと続いた。しかし、それはどこか緊張感に欠けた感覚である。子供の頃はこんなぼんやりした気分で、学校や塾へとただ何となく場所を移動していたのであろうか。



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三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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