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現実そのものの意志

 

 前回の記事の最後で、今回世界の意志としての現実に関する問題について書くと書いた。しかし、これは別の記事で書くが、よく考えると現実は世界の意志ではなく、「世界」という空間的側面と、「意志」という特定の到達点と方向性を持った時間的側面から構成されたものが「現実」だ。そこで、今回は「現実」の時間的側面である「意志」に関する経験について書こう。
 

 信じるという強烈な主体的意志は、現実を動かす。かつて、病に手足を縛られ、何一つ満足に出来ない状態に陥っていた。そして、それは手足を縛られて、川に投げ込まれたような気分だった。つまり、どうやら手足を縛られたまま、意志の力だけで現実を動かすという超能力まがいのことをしなければならないようだった。そのためにそんな不可能と思えることを、出来ると信じる必要があった。そして、信じるとは主体的意志の極致だ。やがて、強烈な主体的意志は、実際に現実を動かすことを知った。


 現実が意志を持って動いているように見え始めた。ここで詳しいことは書かないが、信じるという強烈な主体的意志は実際に現実を動かすようだった。にも拘らず、現実は私の都合のいいようには進まなかった。もちろん現実が都合のいいようにばかり進むわけがない。そして、ここではそのようなことを言っているのではない。そうではなく、現実が私の意志を先回りして、まるで嘲笑うかのように皮肉な方向にばかり進むように見えることを言っている。要するに、現実が一方的に観察され、私の影響を受けているのではなく、それが私とは別の自律した意志を持ち、私の内面が見透かされているように感じることを言っている。  
 

 自分の感じている意志が誰のものだかわからなくさえなっていった。現実が私の意志を先回りしていると同時に、私は現実に誘導されて動いているような気もした。いや、むしろ内面に手を突っ込まれて操られているようにさえ感じた。つまり、現実は私の内面に深く食い込み、私の意志に影響を与えていた。言い換えれば、私の内面と現実は複雑に絡み合っていた。


 以上をまとめる。信じるという極度に主体的な意志は現実を動かすようだった。しかし、私の意志の影響を受けているはずの現実は、まるで自律した意志を持っているかのごとく、私の意志を先回りして皮肉な方向にばかり進んだ。私の内面と現実は複雑に絡み合い、やがて、自分の感じている意志が誰のものだかわからなくさえなっていった。そして、次の記事で書くが、今回書いたことは「現実」の時間的側面である「意志」に関する問題である。





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三室戸弘毅

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