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目的意識の構築 第三回 「病との闘い」



 病との闘いの中で、生きる実感は大きく変わった。では病との闘いはどのように始まり、どのように進んだか。今回はそのことを書く。というのもその中で次回以降に書く自己概念と世界観の変化が起こったからである。まず、自分自身への意識の集中について書いておこう。なぜなら、それが病との闘いの始まりだったからだ。



 病と闘うことは、それまでの自己イメージを変えることであった。病に追い詰められた私は、病と闘う決意をする。振り返れば、自らの貧弱な肉体に失望していた私は、精神こそが自らの存在の核心であると考えていた。また、身体能力よりも知的能力を重視していた。そして、自らの肉体とその具体的性質を問題としようとしてこなかった。しかし、病と闘うということは、自らの肉体とその具体的性質と向き合うということである。そして、それは精神中心の自己イメージを改めることでもあった。



 やがて、自分自身に全ての関心を集中することになる。虚無感の中でもがいていた私は、充実感を求めて刺激を欲した。しかし、充実感といった気分は、何らかの行為の結果として副次的に生じるものである。そして、最初からそのような気分を目的としてしまったら、全てが単なる暇潰しか退屈しのぎになってしまい、何をしても虚しさは募るばかりだ。だから、敢えて何かをしようとすることを止めた。そして、自分以外への関心を切り捨て、全ての関心を自分自身に集中させることにした。



 この行き詰った状況から抜け出すには、徹底的に自分自身に意識を集中する必要があった。虚無感に取り憑かれている限り、何をしても真剣味に欠け、結局全てが暇潰しか退屈しのぎになってしまい、虚しさは募るばかりだからだ。また、病と闘うということは、自らの肉体とその具体的性質と向き合うことだからである。



 ここまでをまとめると、病と闘うことはそれまでの自己イメージを変えることであった。そして、自分自身に全ての関心を集中した。つまり、この行き詰った状況から抜け出すには、徹底的に自分自身に意識を集中する必要があったのである。



 次に、自分自身に対する集中の結果としての自らの主体に対するイメージの空虚化と、自分自身に対する統制力の高まりについて書く。なぜなら、これらのことが次回以降に書く自己概念と世界観の変化の生起を意味するからである。



 感情は肉体感覚に由来する。例えば、好き嫌いの感情は、肉体的な快・不快の感覚に起源がある。コンピューターが感情を持てないとすれば、それは肉体を持たないからだ。例えば、センサーで温度を知ることが出来たとしても、コンピューターは暑いとか寒いといった感覚を持たない。温度計を見て三十度を越えているから、暑いとわかるのではない。温度計を見る以前に、暑いものは暑いのだ。



 肉体の感覚とそれを起源とする感情に意識を集中していった。すると私のさまざまな性質が断片となって私の主体から剥がれ落ち、客観化と操作の対象となっていった。また、以前こだわっていた肉体的に強いとか弱いとか、知能が高いとか低いなどということも一様に私の断片的性質に過ぎないことがわかった。つまり、自分の具体的性質よりも主体性などといった抽象的な点にこだわっていたと言いながら、実際には肉体的に強いとか弱いとか、知能が高いとか低いなどという断片的性質に随分とこだわっていたのである。



 私の私自身に対する統制力は高まっていった。自らの感覚や感情に意識を集中していくと、まるで玉葱を剝くように私のさまざまな性質が私の主体から剥がれ落ち、それらは客観化と操作の対象となっていった。そして、私の自らの主体に対するイメージはどんどん空虚なものになっていった。主体に対するイメージが空虚になればなるほど、私のさまざまな性質が客観化と操作の対象となり、私の私自身に対する統制力は増していった。



 自らの主体に対するイメージの空虚化と、私の私自身に対する統制力の高まりについてまとめてみる。肉体の感覚とそれを起源とする感情に意識を集中していった。すると私のさまざまな性質が断片となって私の主体から剥がれ落ち、客観化と操作の対象となっていった。そして、私の自らの主体に対するイメージはどんどん空虚なものとなっていく。主体に対するイメージが空虚になればなるほど、私の私自身に対する統制力は増していった。



 病との闘いの中で、それまでは存在しなかった肉体的現実感とも言うべき新たな現実感が形作られていった。最後にこのことにについて書こう。なぜなら、このことが主体に対するイメージの空虚化と、私の私自身に対する統制力の高まりの具体的側面であるからだ。



 病に手足を縛られ、追い詰められた私は当時とても太刀打ちできないほど強大に見えていた病との先の見えない闘いを行わざるを得なくなった。私の内面には孤独感や虚無感や不満や不安といった不快な感情が渦巻いていた。そして、それらの感情と向き合った。また、全身に絡みつく不快感を振り切るだけの集中力を得るために、自己流の瞑想や散歩をした。身体が軋むようだった。しかし、それで死ぬなら死ねば好いと思った。



 病との闘いの中で、それまでなかった肉体的現実感が形作られていった。瞑想していると、熱くて、それでいて涼しい風のような感覚が身体を駆け巡るようになった。それは、恐らく「気」というものであろう。そして、指の一本一本にまで生きている実感を持つようになった。また、頭の中だけで考えているのではなく、身体全体でものを考えていると感じるようになった。更に本当に思い詰めてものを考えるとまさに血が滾るようで、体温は三十八度前後まで上昇する。それは「これが若さというものか」と思うほどの魅力的な激しさだった。更にホルモンバランスが変化したのか、少し身体を動かすだけでムリムリと身体に筋肉がつくようにもなった。



 新たな肉体的現実感の形成と共に、思考の方法そのものが変化した。いつしかややこしい思考の蓄積を飛び越えて、一気に結論を掴み取るような直感力を得ていた。それは自分は予め全てを知り尽くしているのではないかと思うほどの、圧倒的な全能感だった。また、激しい葛藤の中で、孤独感や虚無感といった陳腐で無益な感情は生き延びられず、消えた。



 要するに、病に手足を縛られ追い詰められた私は、病との闘いを始めざるを得なかった。やがて、病との闘いの中でそれまでなかった肉体的現実感が、形成されていった。また、新たな肉体的現実感の形成とともに、思考の方法そのものが変化したということである。



 今回は病との闘いがどのように始まり、どうのように進んだかを書いてきた。病に追い詰められた私は、病と闘う決意をした。そして、病と闘うということは自らの自己イメージを変えることでもあった。だから、私は自分自身に意識を集中していった。すると私のさまざまな性質が断片となって私の主体から剥がれ落ち、客観化と操作の対象となっていった。そして、私の自らの主体に対するイメージはどんどん空虚なものとなっていき、主体に対するイメージが空虚になればなるほど、私の私自身に対する統制力は増していった。また、病との闘いの中で、それまではなかった肉体的現実感とも言うべき新たな現実感が形作られていった。また、それとともに思考の方法そのものが変化したのであった。





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Comment
すばらしい!!!
初めまして。
以前、瞑想の記事を拝見して以来、読ましてもらっています。
共感する事が多いです。

私も15年前に欝で引き篭った事がありましたが、
本に書かれてある言葉をきっかけに、
半年で出てきてしまいました。
ですが、弘毅さんは真正面から取り組まれて、
独自の方法で今のような境地にまで進まれたのですね。
すばらしい!!!

これからも内面の変化の記録を続けて下さい。
非常に励みになります。
では。
yasrootさん、はじめまして。

瞑想に関しては、正直あまり自信がありません。
実際それが何なのか、
どう扱って良いのか未だに確信が持てずにいます。
そのことにあまりこだわっても、
単に感覚をいじくっているだけな気がしますし。
その点に関しても、いずれ書こうと思っています。

コメントありがとうございました。
こういうのはどうですか
文才あるから、小説を書いてみたらどうでしょう?

http://compe.japandesign.ne.jp/ap/now/lite.php3

もっか9月30日の今月締め切りのやつで、原稿用紙いらずネット応募できるものは、下記です。
http://asciimw.jp/award/b-prince/#oubo01
http://compe.japandesign.ne.jp/ap/01/gra/1kt/

僕んちのブログ、書き込み少ないので、よろしければ、なんなりコメントしにいらしてください。

まったねーe-291
涼一さん、わざわざありがとうございます。

考えを整理しようと思って文章を書いているのですが、
内容がどんどん抽象的になってしまいます。
だから、小説ならもっと具体的な表現になるのかもしれないと思ったりもします。
しかし、私はほとんど小説というものを読んだことがありません。
したがって、どうやって書いたら良いのかまったく見当もつきません。
でも、具体的に可能性をいろいろ検討してみます。

ところで、涼一さんのブログはどこですか?
リンクがないのでわからないです。
はじめまして、とある3人といいます。
アクセス履歴をたどってやってきました。

記事、読ましていただきました。
とても素晴らしい!としかいえないです。ほんとに・・・。
yasroot同様、心の励みになりました。ありがとうございます。

あと、僕達もブログをやっているので、また是非来てください。
友人と3人でブログを運営しています。
相互リンクをはってもらえると嬉しいです。

ではまた、どこかでお会いしましょう。
とある3人さん、はじめまして。

励みになると言っていただけるとは、ありがたいです。

ところで、今のところ相互リンクは募集していません。
ですので、相互リンクは遠慮させてもらいます。
申し訳ありません。

ではまた。
夜分失礼いたします。
こんばんは。
私は、5年ほど前に弘毅さんの旧ブログにお邪魔していた者(男性)です。どのようなニックネームでお邪魔していたかさえ忘れましたが、とりあえずこの名前で書かせていただきます。

私は、鬱や自閉症や強迫性障害などに関心があり、実際にそういった方々とお会いし、少しずつ活動しております。私はそういった人たちが好きであります。

なぜか弘毅さんのお名前と思索の深さも、ずっと頭の片隅に残っており、今日ふと思い立ってお邪魔しました。世の中には色々な生き方がありますが、ともかく、弘毅さんのブログが、大切なことを教えてくれるものとして印象に残っていたのは間違いないということです。
純一さん、お久し振りです。
わざわざコメントありがとうございます。

純一さんのブログ、ときどき読ませてもらっています。
私とは感じ方や考え方に随分と違いを感じますが、
だからこそ私が見過ごしているようなことを気づかされることがあります。
そう言った訳で、とても参考になります。

更新が滞ってしまっていますが、
よかったらまた見てみてください。
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プロフィール

三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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