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目的意識の構築 第四回 「肉体的現実感の形成」





 前回病との闘いについて書いた。しかし、曖昧なところがいろいろとある。そこで今回は前回出てきた肉体的現実感についてもう少し詳しく書こうと思う。なぜならそれが主観の空虚化と自らの思考と感覚に対する統制力の増強のきっかけだったからである。




 まず、これから話を進める上で必要な、自分の意識構造をどう捉えていたのかということについて書いておく。



 自分は何か得体の知れないものの操り人形に過ぎないのではないかという不気味な不安が、私を苛んでいた。もともと意志こそが自分の存在の核心であると思っていた。そして、意志とは思考によって形づくられ、思考によって把握されるものだと考えていた。しかし、自分の思考の全てを把握しているわけではなく、私の意識は曖昧なものだった。つまり、自分の意志の形成過程がわからなかったのである。いわばどこから、どのようにやって来るのかわからないものを、自分の意志と呼んでいるのである。



 肉体感覚が、「私が生きて、存在している」という思考や認識の主体としての主観を形成していた。自分は何か得体の知れないものの操り人形に過ぎないのではないかと感じているということは、少なくとも「私が生きて、存在している」ようには思えているということである。なぜ「私が生きて、存在している」と感じるかといえば、世界や自分の肉体を見たり、それらに触れたり出来るからである。つまり、この世界も私自身も、私にとっては視覚や触覚といった肉体感覚として存在していた。



 主観の背景に、概念的世界観が展開していた。私には思考がある。だから、私にとってこの世界も私自身も肉体感覚としてだけ存在したわけではなかった。つまり、思考の対象は情報である。この世界も私も肉体感覚としてのみ存在するのではなく、情報としても存在した。言い換えれば、それは「私が生きて、存在する」だけではなく、「ここはどこで、私は誰か」ということも同時に問題としていたという意味である。そして、何が本当で嘘なのか、それらの情報をどう解釈するのかといった抽象的思考が概念的世界観を形づくっていた。そして、その概念的世界観が主観の背景に思考によって操作可能な客体として広がっていた。



 要するに、「私が生きて、存在している」という思考や認識の主体としての主観の周囲に背景として、思考によって操作可能な客体としての概念的世界観が展開されていたのである。そして、「私が生きて、存在している」という主観は肉体感覚によって形づくられていた。



 次に肉体的現実感がどのように形づくられていったかをかく。



 病により何一つ満足に出来なくなった私は、敢えて何かをしようとすることを止め、自分の肉体感覚に全ての関心を集中することにした。具体的には、自己流の瞑想と散歩をした。瞑想していると、熱くて、それでいて涼しい風のような感覚が身体を駆け巡るようになった。また、散歩はただ歩くのではなく、呼吸や地面を踏み締める感覚といった身体感覚に意識を集中するようにした。するとまさに血が滾るように、体温は三十八度前後まで上昇した。そして、それは「これが若さというものか」と思えるほどの激しい魅力的な感覚だった。



 かつては「私が生きて、存在している」という主観が、明確に意識されることはなかった。肉体感覚が「私が生きて、存在している」という主観を形づくっている。そして、肉体感覚は判断以前の問題である。だから、「私が生きて、存在している」という主観は判断以前の問題だった。因みに、ここで言う判断以前の問題というのは、例えば何かが赤に見えたり、青に見えたりする場合、それは直感的なものであり、さまざまな条件を考え合わせた上で、これは赤であるとか、青であると判断しているのではないという意味である。要するに、思考による判断以前の問題であるために、「私が生きて、存在している」という主観は思考の対象にはなり難くかった。だから、全ての認識が思考によって形成され、思考により把握されると考えていた私にとって、それは明瞭な形で意識に上ることはなかったのである。



 肉体的現実感とは、「私が生きて、存在している」という感覚を形づくっている肉体感覚が、現実感として意識上で展開されたものであった。まず、「私が生きて、存在している」という主観は、肉体感覚によって形づくられていた。そして、肉体感覚が判断以前の問題であるために、明瞭に意識に上ってくることはなかった。しかし、全ての関心を肉体感覚に集中すると、それまで主観の中に畳み込まれていた「私が生きて、存在する」という感覚を形づくる肉体感覚が、肉体的現実感として目の前に展開され始めた。そして、それは強烈な没入感を伴った感覚であり、まるで私はその内部にいて、その中から世界を眺めているようであった。



 要するに、肉体感覚に全ての関心を集中することで、肉体的現実感とも言えるような新たな現実感が生まれたのである。以前は肉体感覚によって形づくられた「私が生きて、存在している」という主観は肉体感覚が思考による判断以前の問題であるために明瞭な形で意識されることはなかった。しかし、全ての関心を肉体感覚に集中することによって、それまで主観の中に畳み込まれていた「私が生きて、存在する」という感覚を形づくる肉体感覚が、肉体的現実感として意識上に展開されたのである。



 最後にその肉体的現実感を当初どのように捉えたのかを書いておく。しかし、その認識はすぐに覆される。そして、そのことが主観の空虚化と自らの思考や感覚に対する統制力の増強の始まりであった。そのことについては、次回書く。



 常に感覚的に満たされないものを感じていた。私の身体は物心ついた頃からだるく、頭は鉛が詰まっているかのように重く、締めつけられるように痛かった。また、感覚もどこか鈍っている感じで、世界は虚ろに見えた。そして、自分の肉体感覚から目を背けて、意志の形成過程などといった抽象的なことばかり考えていた。年を経るにつれ、その不全感は増し、やがてもはや身体を起こしていることすら辛くなった。そして、とうとう自分の肉体感覚と向き合わざるを得なくなったのだった。



 肉体感覚に全ての関心を集中するというのは、それまで感じたことのないような明確で単純な意志だった。それまで自分の意志の形成過程がわからないと常に感じていた。やがて病に追いつめられ、敢えて何かをしようとするのを止めて、自分の肉体感覚に全ての関心を集中することにした。それは自分の意志で行われたことだ。しかし、その意志は形成過程といった段階を踏んで作られたものではなかった。そうではなくて、それは現状に対する激しい怒りと強い危機感の中で生まれた、そのような状況から抜け出そうとするか、しないかという二者択一的な明確で単純な意志だった。そのような明確で単純な意志を感じるのは初めてだった。



 抽象的思考と概念的世界観が、激しい怒りと強い危機感から生まれた明確で単純な意志と肉体的現実感によって、取って代わられたかに見えた。肉体感覚に全ての関心を集中することで、肉体的現実感が形づくられた。そして、それは強い没入感を伴った激しく強烈な感覚であった。また、壁を越えて、虚ろな感覚の外に抜け出た気がした。そして、それだけの激しさがあれば、全身に纏わりつく圧倒的な不快感を振りきれるのではないかという目眩がするほどの期待と興奮を感じた。要するに、それまでの抽象的思考に代わって、その肉体的現実感が意識の前面に出てきたように感じたである。



 肉体的現実感を当初どう把握したかをまとめれば、激しい怒りと強い危機感から生まれた明確で単純な意志と肉体的現実感が、それまでの抽象的思考と概念的世界観に取って代わったのだと感じられたということである。物心ついたときから感覚的に満たされないものを感じていた。やがて病に追いつめられた私は、肉体感覚に全ての関心を集中した。それはそれまで感じたことのないような明確で単純な意志で行われたことだった。そして、肉体感覚に関心を集中することで、肉体的現実感が生まれた。それは強い没入感を伴った激しく強烈な感覚であった。そして、それまでの抽象的思考に代わって、その肉体的現実感が意識の前面に出てきたように感じた。



 以上、肉体的現実感について書いてきた。まとめるとこういうことである。病に追いつめられ、全ての関心を自分の肉体感覚に集中すると、肉体的現実感が生まれた。そして、その肉体的現実感とは何かと言えば、明瞭に意識されずに主観の中に畳み込まれていた「私が生きて、存在している」という感覚を形成する肉体感覚が、新たな現実感として意識上に展開されたものであった。その結果としてそれまでの抽象的思考と概念的世界観が、全ての関心を肉体感覚に集中しようという明確で単純な意志とそこから生まれた肉体的現実感に、取って代わられたかのように感じられたということである。しかし、この認識はすぐに覆される。そして、そのことは次回書こうと思う。





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