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目的意識の構築 第五回 「主観の空虚化」




 今回は主観の空虚化について書く。なぜなら、そのことが思考と感覚の客観化と、それらに対する統制力の強化に繫がったからだ。



概念的世界観に対する認識



 肉体感覚に全ての関心を集中することで、肉体的現実感が生じた。そして、概念的世界観がその感覚に取って代わられたのではないかと思うほど、それは強烈な感覚であった。しかし、そのことによって概念的世界観が消えたわけでもなければ、放棄されたわけでもなかった。そこでまずそのような状況の中で、概念的世界観をどう考えていたのかについて書いておく。



 当初意識上にあるのは肉体感覚ではなく、概念的世界観であった。なぜなら、見たり触れたりしている世界について考えることは出来ても、見たり触れたりといったその感覚自体については考えることが出来なかったからだ。すなわち肉体感覚を通して眺めている世界について考えることは出来ても、肉体感覚そのものについて自覚的に考えることは出来なかったということである。したがって、意識上には眺めている世界に対する思考が展開していた。そして、その思考が概念的世界観を形づくっていた。



 全ての関心を肉体感覚に集中することで、肉体的現実感が形成された。つまり、それまで思考の対象にならなかった肉体感覚が、客観化され意識上に展開され始めたのである。具体的に言えば、指の一本一本まで生きる実感を感じるようになった。また、周囲の空間の隅々まで感じ取れるようになった気がした。それは強烈な没入感を伴った感覚である。いわばまるで私はその感覚の内側にいて、その中から世界を眺めているかのようであった。そして、肉体感覚を通して世界を眺めているのだと考えれば、それは自然なことに思えた。



 全ての関心は肉体的現実感を経由して、それ以外の対象、すなわち、概念的世界観へと関連性を持って拡がっていくのだと思っていた。なぜなら、まるで私は肉体的現実感の内側にいて、その中から世界を眺めているかのように感じていたからである。そして、外部の世界への関心というのは、世界を構成する事物に対する判断や推論といった思考のことである。その思考が概念的世界観を形づくっていた。つまり、肉体的現実感以外の対象とは、概念的世界観のことであった。



 要するに概念的世界観をどう考えていたのかと言えば、関心は肉体的現実感から概念的世界観へと、やがて関連性を持って拡がってゆくのだと考えていたのである。



主観の空虚化



 関心は肉体的現実感を経由して、やがて関連性を持って概念的世界観へと拡大していくのだと思っていた。しかし、すぐにその認識は覆される。そして、それは主観の空虚化を意味していた。次にそのことについて書く。



 やがて概念的世界観と肉体的現実感は等価なものとして、意識上に展開していることに気づいた。全ての関心は肉体的現実感を経由して、それ以外の対象へと関連性を持って拡がっていくのだと思っていた。しかし、その認識はすぐに覆された。なぜなら、肉体的現実感を経由するのでも、それと何ら関連するのでもなく、関心が肉体的現実感以外の対象へ不意に飛ぶことに気づいたのである。そして、肉体的現実感以外の対象とは、概念的世界観のことであった。つまり、肉体的現実感の外側に概念的世界観が広がっているわけではなく、肉体的現実感と概念的世界観のどちらが内でも外でもなかったのである。



 肉体感覚が主観を形成していたのではなく、それは主観に実感や具体的内容を与えていたに過ぎなかったのだ。そもそも世界を見たり、それに触れたりしたところで、誰が見ているのか、誰が触れているのか、「私」が見ているのだ、「私」が触れているのだ、などとわざわざ考えねばならぬ必然性はない。つまり始めに思考や認識の主体としての「自分」や「私」という概念があってそれが何を指しているのか考えたとき、周囲に空間の広がりを感じて、その中心にいるという感覚を「私が生きて、存在している」感覚であると考えたのである。



 主観は肉体感覚という実感と具体的内容を失い、空虚化を始めた。まず、概念的世界観が思考の客体として、思考や認識の主体としての主観の背景に広がっていた。しかし、思考や認識の主体とは何なのかはわからなかった。そして、漠然と肉体感覚がその主観を形づくっていると考えていた。なぜなら、「私が生きて、存在している」と感じるとしたら、それはこの世界を見たり、それに触れたり出来るからであると考えたからだ。しかし、全ての関心を肉体感覚に集中することでそれは客観化され、肉体的現実感として意識上で展開を始めた。すなわち肉体的現実感は概念的世界観とともに思考の客体として意識上で等価に並存していたのである。つまり、肉体感覚は客観化され主観から剝がれ落ち、背景へと退いていった。



 つまり主観の空虚化とは、主観がその実感と具体的内容を失うということである。まず、思考の客体としての概念的世界観が、思考や認識の主体としての主観の背景に広がっていた。そして、肉体感覚が主観を形づくっているのだと考えていた。しかし、肉体感覚は肉体的現実感となり、それが概念的世界観とともに思考の客体として意識上に並存していることに気づいた。すると肉体感覚は主観から剝がれ落ち主観の背景へと退いていった。そして、主観はその実感と具体的内容を失い、空虚化を始めたのである。



空虚化の進行



 主観は肉体感覚という実感と具体的内容を失った。すなわち主観の空虚化が始まったのである。そして、それはさらに進んでいく。最後にそのことを書く。



 世界が私の意志の影響を受けているように見えた。まず病に追いつめられた私は、激しい怒りと強い危機感を抱くようになった。そして、その激しい怒りと強い危機感がその状況から抜け出そうとするか、しないかという二者択一的な単純で明確な意志を作りだした。その意志はそれまで感じたことがないほどの激しいものだった。そして、その激しさは、私を周囲の世界の変化に敏感にさせた。周囲の世界の変化に敏感になった私には、世界が自分の意志の影響を受けているように見え始めた。



 私の意志は自分の意志ではなく、世界という他者の意志であるかのように感じられ始めた。当初周囲の世界が私の意志の影響を受けているように見えた。しかし、よく見ると世界が私の意志の影響を受けているのではなく、むしろ世界の動きの方が私の意志を先回りしているように見えた。つまり、世界が一方的に私に観察され、影響を受けているのではなく、逆に世界が自律した意志を持ち、私をひとつの方向に誘導しているように感じ始めたのである。そして、それは自分の内面へ直接腕を突っ込まれて、世界という他者に操られているかのような衝撃だった。



 主観の空虚化がさらに進行したのである。始め肉体感覚が、「私は生きて、存在している」という思考や認識の主体としての主観を形成しているのだと思っていた。しかし、肉体感覚は肉体的現実感となり、主観から剝がれ落ちたのである。また、意志こそが自らの存在の核心であると思っていた。しかし、肉体感覚が主観から剝がれ落ちたのに加えて、意志までもが今や私の意志ではなく、世界という他者の意志であるかのように感じられ始めたのである。



 要するに自らの存在の核心であると考えていた意志すら、もはや自分のものではなく、世界という他者の意志であるかのように感じ始め、さらに主観の空虚化は進行したのである。



まとめ



 以上主観の空虚化について書いてきた。それをまとめてみる。まず、「私が生きて、存在している」という思考や認識の主体としての主観を形づくっているかに思えた肉体感覚は客観化され、肉体的現実感となった。そして、そのことによって主観はその実感と具体的内容を失った。つまり、主観の空虚化が始まったのだ。また、主観が肉体感覚というその実感と具体的内容を失ったのに加えて、自らの存在の核心であると思っていた意志すら、もはや自分のものではなく世界という他者のものであるかのように感じ始めた。そのようにして、主観の空虚化は進んでいったのである。そして、主観の空虚化は思考と感覚の客観化とそれらに対する統制力の強化を意味していた。そのことについては次回書く。







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Comment
どうも
訪問ありがとうございます。
つまらない日記ですが、
また遊びにいらしてくださいね^^
hiroさん、こちらこそご訪問ありがとうございます。
よかったらまた来てください。
初コメ
初コメです

良い考察ですね
これって自分で考えたのですか?
どっかの本の引用ですか?
なわけないか

僕のようなしがない中2病には難しい話です
僕にとっては「笑い」が全てですからね
ゴッド・カオスさん、コメントありがとうございます。

かなり頭捻って書いてます。
次の記事書いているのですが、
なかなか纏まりません。
更新頻度の低いブログですが、
好かったらまた見に来てください。
あなたはとても体性感覚の鋭い人なのだな、と感じました。古い本ですが中村雄二郎さんの「共通感覚論」という本をおすすめします。(既に呼んだことがあったならすいません)あなたが少しでもこの世界のことを納得できる手助けになれば幸いです。
3uさん、お久し振りです。

五感以外の感覚を体性感覚と言うのですね。
初めて知りました。
「共通感覚論」読んでみます。
貴重なご指摘ありがとうございます。
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三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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