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目的意識の構築 第六回 「感覚的不全感と虚無感の拡大と消失」




 今回は感覚的不全感と虚無感の拡大と消失について書く。なぜならそのことが、現在の状況を説明するのに必要だと考えるからである。そして次に書くべきことも見えてくるだろう。ところで前回、前々回と書いているうちに曖昧なところや矛盾するところが出てきてしまい、それらを埋めているうちに逆に現実から離れてしまった気がする。そしていろいろ考えた結果、もっと簡単に話を進められるのではないかと思った。だから今回はややこしい部分は思い切って切り捨てて、もっと単純な書き方をすることにした。



感覚的不全感と虚無感の拡大



 まず感覚的不全感と虚無感の拡大について書く。



 かつて感覚的不全感を抱えていた。世界や自分が存在しているようには見えた。しかし、生きていることに手応えを感じられずにいた。つまり現実から壁一枚隔てられているかのように、上手く周囲の空間を感じ切れずにいたのである。だから、世界は虚ろに見えた。生きていることに実感が持てず、何かすっきりしない感じであった。そして、頭は鉛が詰まったように重く、締めつけられるように痛かった。また、身体もだるかった。



 以前虚無感を抱いていた。自分の存在の核心は意志であると思っていた。しかし実際にはその意志の形成過程がまるでわからなかった。だから自分は何か得体の知れないものの操り人形に過ぎないのではないかという、奈落の底に落ちていくような不気味な不安を常に感じていた。そして自分がこの世界をどうしたいのかがわからなかった。だからこの世界が雑多な事物の集積にしか見えなかった。つまり何をしたところで、何かを右から左に動かしたり、左から右に動かしたりしているに過ぎなく感じていたのである。



 感覚的不全感と虚無感はどこまでも拡大し、やがて私を完全に飲み込んだ。そして意識があるだけで苦しく、身体を起こしているのも辛くなった。やがて感覚的不全感はともかく、虚無感は誰もが向き合ってきた人類共通の課題だと勝手に考えるようになった。だからそれに負けることは、人類の歴史に対する裏切りであると思った。そして無意味で苦痛に満ちた生を生き抜く決意をした。しかし実際には感覚的不全感と虚無感に完全に支配された状態では、何をしようとしても満足には出来なかった。



 要するに感覚的不全感と虚無感を抱えていた。つまり生きていることに手応えを感じられなかったし、世界は虚ろに見えた。また自分の意志の形成過程がわからなかった。だからまるで何か得体の知れないものの操り人形のように自分を感じたし、世界は単なる雑多な事物の集積に過ぎなく見えた。やがて感覚的不全感と虚無感は拡大し、私を飲み込んだ。そしてそのような状態では、何も満足には出来なかった。



感覚的不全感の解消



 次に感覚的不全感の解消について書く。



 全ての関心を自らの内面へと集中することにした。感覚的不全感と虚無感は拡大し、圧倒的な不快感が全身を覆い手足を縛った。そしてそのような状態では何をしようとしても満足には出来なかった。やがてその状況に対する強い危機感と激しい怒りが生まれた。それらは自分が何に苦しんでいるのか、なぜ苦しんでいるのか考えさせ、全ての関心を自らの内面に集中させた。またそうすることで全身を覆う不快感から脱却し、何かを生み出せる自分を作り出そうと考えたのである。



 全身を覆う不快感を何とかするために、感覚に意識を集中することにした。それはどういうことか。例えば考えを整理するとき、自分が何を考えているのか考える。つまり自らの思考を思考の対象とするのである。そうすることで、漠然としていた思考が客観化され、明確なものとなる。感覚に意識を集中するというのは、これと同じことである。自らの感覚を感覚の対象とすることで、感覚を客観化し明瞭なものとするのである。そして客観化するということは、自らの操作の対象とするということでもある。



 感覚的不全感は解消した。なぜなら感覚に意識を集中するということは、感覚を客観化し、それを自らの操作の対象とすることだからである。まず感覚に意識を集中した。するとまさに血が滾るようで、体温は三十八度前後まで上昇した。それは「これが若さというものか」と思えるほどの魅力的な激しさだった。またホルモンバランスが変化したのか、少し身体を動かしすだけでムリムリと筋肉がつくようになった。やがて指の一本一本まで生きる実感を得た。また周囲の空間の隅々まで感じ取れるようになった気がした。



 つまり感覚に意識を集中することで、感覚的不全感は解消したのである。なぜなら感覚に意識を集中するということは、感覚を客観化し、それを自らの操作の対象とすることだからである。



虚無感の消失



 最後に虚無感の消失について書く。



 内面に関心を集中するということは何となく世界を眺めているのではなく、自らの内面を通して自覚的に世界を見るということである。そもそも私の内面は、世界から独立して存在しているわけではない。また私の内面に、この世界と無関係な何かが存在するわけでもない。だから私の内面にあるのは、結局世界をどう感じ、どう考えているのかという感覚や感情や思考である。したがって自らの内面に関心を集中するということは、自分が世界をどう感じ、どう考えているのかということに関心を集中するということである。



 世界の動きに自律した意志を感じはじめた。内面に関心を集中するということは、自らの内面を通して自覚的に世界を見るということである。したがって自らの内面に関心を集中することによって、周囲の世界の変化に敏感になった。すると世界が自分の意志の影響を受けているように見えはじめた。さらによく見ると、世界が自律した意志を持って動いているように思えた。しかもその意志は常に私の意志を先回りし、私をひとつの方向へ誘導しているように感じられた。それは世界という他者に、自分の内面に直接腕を突っ込まれて操られているような衝撃だった。



 虚無感は消失した。一時的に自分の意志が世界という他者に乗っ取られ、自分が自分でないような混乱を感じた。しかし世界の意志が自分の内面と密接に関係しているならば、その意志と直接駆け引きが可能なはずだ。そして世界の意志との駆け引きの中で、自覚的に自分の意志を形成すればよいのではないか。つまりもはや世界は、単なる雑多な事物の集積ではなくなった。また私も得体の知れないものの操り人形ではなくなったのである。



 要するに世界の意志との駆け引きの中で自覚的に意志を形作ればよいと考えることで、虚無感は消失したのである。まず内面に関心を集中するということは、自らの内面を通して自覚的に世界を見るということであった。だから内面に全ての関心を集中すると、世界の動きに敏感になった。そして世界の動きが、自分の内面の影響を受けているように感じた。やがて世界が自分の影響を受けているというより、むしろ世界が自律した意志を持って動いているように見えはじめた。そしてその意志と自分の内面は密接に関係しているようだった。



まとめ



 以上感覚的不全感と虚無感の拡大と消失について書いてきた。まとめると自らの内面に関心を集中することで、感覚的不全感と虚無感は消失したということになる。なぜなら自らの内面に関心を集中するということは、内面を通して世界を自覚的に見るということだからである。まず感覚に意識を集中すると、指の一本一本にまで生きる実感を得た。そして周囲の世界の動きに敏感になった。やがて世界が自律した意志を持って動いているように見えはじめた。そしてその意志との駆け引きの中で、自覚的に意志を形成すればよいと考えるようになった。もはや世界は単なる雑多な事物の集積ではなくなったし、私も得体の知れないものの操り人形ではなくなった。そのようにして感覚的不全感と虚無感は消えた。





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