FC2ブログ
HOME   »  スポンサー広告  »  スポンサーサイト   »  考察  »  葛藤の中での冷静さ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。


人気ブログランキングへ

葛藤の中での冷静さ



 今回は、葛藤の中での冷静さについて書く。なぜなら、それが私の現実感と思考力の基盤となっているからである。そしてそのことを確認しておかなければ、この先話を展開しようがない。またこの文章で、自分なりの覚悟なり誠実さなりを示せたらいい。なぜなら完全に理解し合うことは出来なくとも、覚悟や誠実さを伝えることは出来ると思うからである。そしてそれが出来れば、協力し合うことも出来るかもしれない。



自分の全てだと思っていたものの喪失



 まず、自分の全てだと思っていたものを失ったことについて書こう。そして、それが激しい葛藤を生むことになる。



 肉体的弱さが、虚無感のきっかけを作った。喘息持ちで、運動能力に欠ける子供だった。少し身体を動かすだけで息苦しくなったし、常に身体は重くだるかった。だからそんな貧弱な自分の肉体に失望し、軽蔑していたのである。そして精神こそが、自らの存在の核心であると考えるようになった。しかしその精神、あるいは内面というものが、どこにある何なのかという実感が持てなかった。そして「なぜ虚無感は消えたのか」で書いたように、そのことが主体性への疑問を生み、虚無感を作り出したのである。



 肉体より精神を重視した私は、身体能力よりも知能を重んじた。だから、執念深く勉強を続けようとした。そうは言っても虚無感はどこまでも拡大し、意識があるだけで苦しく、身体を起こしているのも辛かった。だがきっかけは何であれ、虚無感は誰もが向き合う人類共通の問題だと思っていた。したがってそこから逃げるのは、人類の歴史に対する裏切りだと感じたのである。だから生きることがどんなに無意味で苦痛に満ちたものだとしても、生き抜く決意をしていた。



 結局自分は全てを失ったのだと感じた。自分は肉体と精神で出来ていると思っていた。しかし精神とは何かがわからなかった。だから虚無感の中で、いつしか肉体と精神は身体能力と知能という言葉に掏り替わっていた。知能を重視した私は、執念深く勉強を続けようとした。しかし虚無感が生み出す圧倒的な不快感に手足を縛られ、何一つ満足には出来なかった。つまり自らの肉体的弱さに失望すると共に、知能においても挫折と屈辱を味わったのである。



 つまり、全てを失ったかのように感じたということである。なぜなら自らの肉体的弱さに失望すると共に、知能においても挫折と屈辱を味わったからである。まず肉体的弱さが肉体への軽蔑と精神偏重の傾向を生み、虚無感のきっかけを作った。そして肉体より精神を重視した私は、身体能力よりも知能を重視した。しかし虚無感が生み出す不快感に手足を縛られ、勉強を進めることが出来なかったのである。



激しい葛藤



 次に、激しい葛藤について書く。なぜならそれが私にとっての現実感と思考力の基盤である、葛藤の中での冷静さを生むことになるからである。



 強い危機感と激しい怒りを感じた。なぜなら全てを失ったように感じたからである。つまり自らの貧弱な肉体を軽蔑すると共に、虚無感が生み出す不快感によって知能においても挫折と屈辱を味わったのである。だから手足を縛る不快感をとにかく何とかするために、感覚に意識を集中することにした。そして「なぜ虚無感は消えたのか」で書いたように、虚無感は消えた。しかし、それはそうやすやすと行われたことではなかった。



 感覚への意識の集中には、激しい葛藤が伴った。なぜならそうこうしている間に、それまでに獲得した僅かばかりの知識さえ失ってしまうのではないかという不安を覚えたからである。だが出来もしない勉強をしようとするのは、傲慢であると考えることにした。とは言ってもそんな理屈で納得しているわけでもなく、目眩がするほどの葛藤を感じた。しかも感覚に意識を集中すると言っても、そのことで具体的に何がどうなるという当てがあるわけでもなかった。



 感覚への意識の集中には、激しい葛藤の中で正気を保つだけの集中力を得ようという意図もあった。感覚に意識を集中して、その結果どうなるのかはわからなかった。しかし先のことを考えても、目の前の問題に集中できない。だから感覚に意識を集中することで、状況を打開できるのだと信じることにした。そしてややこしいことを考えずに、とにかく眼前の状況に集中した。しかし確信の持てないことを敢えて信じようとすることで、葛藤はさらに深くなった。



 要するに感覚への意識の集中は激しい葛藤を伴い、そこにはその葛藤の中で正気を保つだけの集中力を得る目的もあったのである。まず自らの貧弱な肉体を軽蔑すると共に知能においても挫折と屈辱を味わい、強い危機感と激しい怒りを抱いていた。そして感覚に意識を集中している間に、それまでに獲得した知識を失う不安も感じた。しかも感覚への意識の集中によって、具体的に何がどうなるという当てがあったわけでもなかったのである。



葛藤の中での冷静さ



 最後に、葛藤の中での冷静さについて書く。そして、それが私の現実感と思考力の基盤となっている。



 私という一点でこの世界を包囲しているような直感を獲得した。そのような直感を生み出したのは、激しい葛藤の中での冷静さであった。まず虚無感が生み出す不快感を何とかするために、感覚に意識を集中した。またそれはままならぬ状況に対する強い危機感と激しい怒りの中で、正気を保つだけの集中力を得るためでもあった。そして激しい葛藤は思考をフル回転させ、力強い落ち着きと冷静さを生み出したのである。



 透明で密度の濃い感覚の中で思考は主体から剝がれ落ち、客観化されて明瞭な形で意識上に展開された。まず目眩がするような激しい葛藤の中で、頭の中だけで知識や概念をいじくるような表面的な思考は崩れ落ちた。また葛藤の中での冷静さは、密度の濃い強烈な感覚であった。しかしそれだけで完結した、それ以上どうすることも出来ない空っぽなものにも思えた。だがだからこそ自らの思考を客観化し、明瞭に意識上に展開できるのである。



 葛藤の中での冷静さが、新たな現実感と思考力の基盤となった。葛藤の中での冷静さが、私という一点でこの世界を包囲しているような直感を生んだ。それは目の前の状況に、予め全てを知り尽くしているかのごとく対応できることを意味した。そして、それが新たな現実感となったのである。また激しい葛藤が思考を駆り、冷静さを生んだ。そしてその冷静さが思考を客観化し、明瞭に意識上に展開した。それは生々しい当事者性と、客観的、俯瞰的視点の並存と言える。



 つまり葛藤の中での冷静さが、新たな現実感と思考力の基盤となったということである。まず、ままならぬ状況の中での激しい葛藤が思考を駆り、力強い冷静さを生み出した。そしてその葛藤の中での冷静さは、私という一点でこの世界を包囲しているような直感と共に思考を客観化し、意識上に明瞭に展開した。またそれは生々しい当事者性と、客観的、俯瞰的視点の並存と言える。



まとめ



 ここまで書いてきたことをまとめよう。自らの貧弱な肉体への軽蔑が、虚無感を生んだ。そして虚無感が生む不快感によって、知能においても挫折と屈辱を味わうことになった。その結果その不快感を何とかするために感覚に意識を集中することになったのだが、感覚への意識の集中には激しい葛藤が伴った。しかし激しい葛藤は思考を駆り、冷静さを形づくったのである。そしてその葛藤の中での冷静さが鋭い直感と明晰な思考を生み、現実感と思考力の基盤となったのである。




ランキングに参加しています。下のバナーをクリックしていただけたら、ありがたいです。


人気ブログランキングへ

Comment
たまに弘毅さんのブログを見て参考にさせていただいています。
しかしなかなかまだ自分には理解が難しいようです。
特に
>感覚への意識の集中
はとても難しいです。
突然すみませんでした m(__)m
くきさん、コメントありがとうございます。

私もくきさんのブログときどき見ています。
何だか頑張っている感じが出ていて好いと思います。

感覚への意識の集中についてはあまり具体的なことが書けていないので、
理解し難いかもしれません。
具体的な感覚の変化のようなものは実際の行動と共に書くしかないと思うのですが、
どうも今は行動的になれないので難しいです。
また考えなしに感覚の動きのようなものを書いても、
結局何が言いたいのかわからない独り言のような文章になってしまいます。
それで今は具体的なことが上手く書けずにいます。
いつか上手く書けるようになるといいのですが。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
カテゴリー
月別アーカイブ
最近のコメント
最近のトラックバック
最近の記事
アルバム
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。