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生々しいさみしさ




 「生き抜く決意をするまで」で書いたように、生きることがどんなに無意味で苦痛に満ちたものだとしても生き抜く決意をした。では、その後どうなったのか。結論から言えば、行き詰ったのである。なぜなら生き抜くことを決意したといっても、実際には苦痛を堪え忍ぶだけで精一杯だったからである。そして、感じたのはさみしさであった。今回はそのことについて書こうと思う。ちなみに今回書くのは、20代半ばのことである。



それまで考えていた人生の終焉



 生きることがどんなに無意味で苦痛に満ちたものだとしても、生き抜く決意をした。しかし、結局は行き詰った。そして、それまで考えていた人生が終わったと感じたのである。では、どのように行き詰ったのか。まず、そのことについて書く。



 なかなか積極的な行動には出られなかった。確かに生きることがどんなに無意味で苦痛に満ちたものだとしても、生き抜く決意をした。しかし生き抜く決意をしたといっても、相変わらず意志を見失ったままだった。また既に生きている人間が、わざわざ生きることを決意するというのはおかしい。つまり、それは単に死なずに苦痛に耐えると言っているに過ぎない。すなわち、虚無感とそれが生み出す不快感に堪え忍ぶのが精一杯だったということである。



 そして、勉強を進められなくなった。私は科学者志望であった。確かに「なぜ虚無感は消えたのか」で書いたように、この世界について知ることに意味を見い出せなくなった。しかし、私にとって科学は神聖なものであり続けた。にも拘らず、かつての情熱はすっかり褪せてしまっていた。要するに虚無感に抗して勉強しようとしても、あたかも単なる暇潰しか退屈しのぎに過ぎないかのごとく真剣味に欠けたのである。



 学校を卒業して、社会に出るというそれまで漠然と考えていた人生が完全に終わった。それは何一つ為し遂げられぬまま、20代も半ばになったときに感じたことである。そして、途方に暮れた。またその状況に対して、それまで感じたことのないような強い危機感と激しい怒りを感じた。そして同年代の人間は既に社会に出て働いているのだと思うと、取り残された気分になった。何だかもう後戻りできないところまで、来てしまった気がした。



 要するに生き抜く決意をしたといっても、苦痛を堪え忍ぶだけで精一杯だったのである。だから、なかなか積極的な行動に出られなかった。そして、勉強を進めることも出来なかった。つまり虚無感に抗して勉強しようとしても、単なる暇潰しか退屈しのぎに過ぎないかのように真剣味に欠けた。そうこうするうちに何一つ為し遂げられぬまま20代も半ばを過ぎ、それまで考えていた人生が完全に終わったと感じたのである。そして、その状況に強い危機感と激しい怒りを覚えた。



さみしさとナルシシズム



 行き詰った結果、さみしさを感じた。しかしそのさみしさを受け入れるのは、簡単なことではなかった。なぜなら、私にはナルシシスト的なところがあったからである。それがどういうことか、次に書く。



 この状態では、社会と関わろうにも関われないのだという認識に至った。つまり虚無感の生み出す強烈な不快感によって、もはや全く身動きが取れないことをようやく思い知ったのである。しかし、私はもともと社会に価値を見い出せずにいた。だから、以前は無理に社会との関係を維持する意味はないとも感じていた。だから高校をやめるときも、特に喪失感はなかった。すなわち、かつては敢えて社会と距離を置くのだと考えていたのである。



 しかし社会の中での生身の人間との関わりがないことに、さみしさを感じるようになった。そしてそれは自分の苦悩が理解されないという孤独とは違う、それまで感じたことのないような生々しいものだった。つまり敢えて距離を置くというのと、関わろうにも関われないというのでは感じ方が全く違うのである。すなわち、以前は自分の苦悩が理解されるかどうかが問題だった。しかしいつの間にかそもそも他人と関わることが出来るかどうかが、問題となってしまったのである。



 私にとってさみしさを受け入れ、自分以外の人間に関心を持つことは、自らのプライドを自らで踏みにじるような自虐的行為であった。なぜなら自分だけを偉大だと思いたいし、他人からもそう思われたいというナルシシスト的なところが私にはあったからである。いわば他人に関心を持つということは、自分自身に対する裏切りであり、屈辱であったのである。だから、それまで自分以外の人間に真剣な関心を持ったことはなかった。



 つまり敢えて社会から距離を置いているのではなく、この状態では社会と関わろうにも関われないのだという認識にようやく至ったのである。そして社会の中での生身の人間との関わりがないことに、それまで感じたことがないような生々しいさみしさを感じた。しかし私にとってさみしさを受け入れ、自分以外の人間に関心を持つことは、自らのプライドを自らで踏みにじるような自虐的行為であった。なぜならナルシシスト的なところが私にはあったからである。



非理性的なもの



 行き詰った私は、何らかの変化を求めた。そして、それが感情という非理性的なものと向き合うということであった。最後に、そのことについて書こう。



 私のナルシシズムは、自らの理性への自信が支えていた。すなわち、自分を頭の良い人間だと思っていたのである。そして、そんな自分は社会や他人から尊敬されて当然だと考えていた。しかし長年のひきこもり生活により、そのような自己イメージは完全に壊れたのである。ちなみに「葛藤の中での冷静さ」で知能という言葉を使ったが、理性という言葉の方が適切だろう。なぜなら知能という言葉は曖昧であるし、特に思考を緻密に組み立てる能力を私は重視していたからである。



 感情は理性とは別のものである。なぜなら理性が自覚的に思考を組み立てる能力であるとしたら、いろいろ考えた上で恐れるべきとか悲しむべきと判断されるわけではないからである。しかし例えば将来への不安というとき、それは何らかの判断の結果のようにも感じられる。だが、不安はあくまで将来に対する判断に付随して生じたものである。つまり不安を抱くために将来のことを考えたわけでも、将来のことを考えた結果不安を抱くべきと判断したわけでもない。



 それまで等閑視していた感情というものと、向き合うことにした。なぜならさみしさは虚無感が生み出す憂鬱に、どこか似ていたからである。また原因がはっきりしている分、虚無感が生み出す憂鬱より扱いやすそうだった。したがってさみしさに向き合うことで、虚無感に対応するためのヒントが得られるかもしれないと考えたのである。また、そこに必然的な過程を感じてもいた。だから、その勘を信じてみることにしたのである。



 要するに自らの理性への自信を失った私は、それまで等閑視していた感情という非理性的なものに関心を向けるようになったのである。まず私のナルシシズムは自らの理性への自信が支えていたが、そのような自己イメージは完全に崩れた。また虚無感が生み出す憂鬱に、さみしさはどこか似ていた。だからさみしさに向き合うことで、虚無感に対応するためのヒントが得られるかもしれないと考えたのである。



まとめ



 何一つ為し遂げられぬまま時間は過ぎ、取り残されたようなさみしさを感じた。しかしさみしさを受け入れることは、ナルシシストである私にとって自らのプライドを自らで踏みにじるような行為であった。また私のナルシシズムは、自らの理性への自信によって支えられていた。だが自らの理性への自信を失い行き詰った私は、それまで等閑に付していた感情という非理性的なものと向き合わざるを得なくなったのである。




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はじめまして
はじめまして、ラフ、主婦です!

子供が大きくなり手が放れて、主人のことで携帯で、さまよってます。

市役所勤めをしていて、20年も満たさず、退職してしまいました。どういった経緯かは、性格にもよりますし、少し蓄えがあましたので、離職をとがめませんでした。
しかし、2年経った今、職に付かず最近ロールプレイングゲームの、ドラゴンクエストばかりしています。
あまり詳しくわからないですが、ワイハイ?で、ネットゲームにも関わらず、一人ゲームメンバーとステージを、進めています
失礼かと、思いましたがもしや主人は、性格から何かの思いに自分自身を縛ってるのかと、ここへたどり着きました。

自分は、勉強がいやで、楽しさや、趣味に、たどり着けず逃げの人生で、でも、気持ちは何かを探したくてアンテナは閉まっちゃだめなんだ、と言い聞かせてきました!
浅はかですが、負の思いには、負しか生まれないと考えて思えば思うほど、逃げとしか、理解できないで、います!
ですので楽しさ、自分が楽しむことは大切と考えます。
主人のことが少しでも理解できればと思うかぎりです!失礼しました
ラフさん、はじめまして。

ご主人がゲームを本当に楽しんでおられるのなら、それも気分転換になるかもしれません。
しかし仮に現実逃避としてやられているのなら、夢中になっておられるときはいいかもしれませんが、ふと
我に返られたとき徒労感と虚しさを感じておられるかもしれません。
もちろん私にはお仕事をお辞めになったご事情も、どんな思いでゲームをされているのかもわかりませんが


それよりもラフさんご自身がもっと落ち着かれて、もう少し考えを整理された方がいいかもしれません。
私も偉そうなことを言える立場ではありませんが。
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プロフィール

三室戸弘毅

  • Author:三室戸弘毅
  • 40代。男性。
    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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