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神との駆け引きと学問




 今回は虚無感に代わる新たな世界観と、それが生む意志ついて述べる。ちなみに「状況認識と意志形成」で、虚無感とは状況認識であると述べた。しかしここでいう状況認識とはその場の状況判断というより、世界観に近い意味である。また、新たな状況認識、すなわち世界観が必要であると述べたが、新たな世界観は既にあったのである。そして、それが神との駆け引きである。つまり、今回は「状況認識と意志形成」の補足と修正となる。



世界観と意志



 「状況認識と意志形成」で虚無感と感覚への意識の集中を例に、状況認識による意志形成について述べた。ちなみにここでいう状況認識とは、世界観に近い意味である。そこで状況認識という言葉を、世界観という言葉に置き換える。そしてまず世界観と意志の関係について、より一般化して書こうと思う。なぜなら、それが現在の私の世界観の機軸をなすものだからである。



 世界観により、意志は生まれる。つまり人間は意識内の何かに従って、自らの思考や行動のパターンを形づくっている。そしてその証拠に、さいころの目のように完全にランダムな思考や行動を行う人間など見たことがない。そして、その何かが世界観である。なぜなら人間の意識に、この世界と無関係に独立して存在するものなどないからである。すなわち人間の意識の中にあるのは、結局この世界をどう感じ、どう考えるのかということである。



 自覚的に世界観を構築する必要がある。なぜなら必ずしも自分が世界をどう認識し、どういう理由で、何に価値を置いているのかを明確に意識しているわけではないからである。いわば無自覚的世界観に従い、思考し、行動しているのである。だが、それでは意志の入り込む余地がない。したがって「状況認識と意志形成」で述べた状況認識とは、この無自覚的世界観から自覚的に構築された自覚的世界観のことである。



 意志と世界観は分かち難く結ばれた。しかし虚無感に苛まれていたころは、意志と世界観を別の問題だと考えていた。なぜなら意志は内面の問題であり、世界観は外界としての世界についての問題だと考えたからである。だが「なぜ虚無感は消えたのか」で述べたように、主体性から内面全体の整合性へ問題意識が移行した。そして内面全体の整合と、世界観の構築は同義である。なぜなら意識の内部にあるのは、世界をどう感じ、どう考えるのかという世界観だからである。



 つまり、意志は世界観によって生まれるのである。すなわち人間は自らの世界観に従い、思考し、行動するのである。なぜなら人間の意識の中に、この世界と無関係に独立して存在するものなどないからである。しかし人間は必ずしも自分の世界観を明確に自覚しているわけではなく、いわば無自覚的世界観に従っている。そして、それでは意志の入り込む余地がない。だから、自覚的に世界観を構築する必要がある。そして、意志と世界観は固く結ばれたのである。



世界観の変遷



 次に私の世界観の変遷について述べる。つまり、ここから私個人の経験の叙述に入っていく。そしてそこを明確にしておかなければ、意志を生み出せない。なぜなら、世界観が意志を生み出すからである。



 私が最初に自覚した世界観が、虚無感である。つまり子供時代の私にとって自分の意識はその全体を見通せない巨大な混沌であり、私はその得体の知れない混沌の操り人形に過ぎなかった。そして、意識の内容とは世界観である。したがって自らの意識を見通せないとは、自分の世界観を把握しきれていないということである。だから私にとり世界は混沌であり、「なぜ虚無感は消えたのか」で述べたように雑多な事物の集積にしか見えなかったのである。



 世界全体を感じ取るとは、意識全体を感じ取るということである。なぜなら意識の内部にあるのは、世界をどう感じ、どう考えるのかという世界観だからである。まず「状況認識と意志形成」で述べたように、虚無感という状況認識、すなわち世界観は感覚への意識の集中という意志を生んだ。そして「神との駆け引きとそれによる変化」で述べたように、その過程で神との駆け引きという手応えを得、世界全体を感じ取れるようになったのである。



 神との駆け引きは、虚無感に代わる世界観である。つまり意識全体を感じ取ることで、意識は私を背後から操る得体の知れない内部構造ではなく、自らの眼前で展開する操作の対象となったのである。また神の意志は世界の意志であり、世界は単なる雑多な事物の集積ではなく、自律した意志を持った存在となった。確かに「状況認識と意志形成」で、新たな状況認識が必要であると述べた。しかし状況認識は、既にあったのである。そしてここでいう状況認識とは、自覚的世界観である。



 要するに最初に自覚した虚無感という世界観が消え、神との駆け引きという新たな世界観が生じたのである。つまり感覚への意識の集中の過程で得た神との駆け引きという手応えにより、世界全体を感じ取れるようになったのである。そして世界全体を感じ取るとは、意識全体を感じ取るということである。したがってもはや意識は私を背後から操る得体の知れない内部構造ではなくなり、世界も単なる雑多な事物の集積ではなく自律した意志を持った存在となったのである。



新たな意志



 最後に神との駆け引きという世界観が、何を必要とするかを述べる。そして、必要は意志を生む。



 神との駆け引きという、新たな世界観を得た。そして世界観と意志は単に意識の内容の問題ではなく、自己と世界との関係に決定的な意味を持つというのがその内容である。すなわち自分の意志の世界への影響を測ることで神の意志を見い出し、その意志との駆け引きという手応えの中で世界全体を感じ取るのである。そしてそれは目の前の状況に、まるで予め全てを知り尽くしているかのように対応できる直感を意味する。そして、意志とは世界観が生み出すものである。



 この世界を直感としてだけではなく、概念としても把握する必要がある。なぜならまず「他者への意識」で述べたように、私は社会の存在を前提として生きている。そして神との駆け引きによる直感は言語化しなければ他人に伝達できず、自分の行動を説明できないままその直感に身を委ねれば孤立するからである。そして言語化とは概念化であり、それが学問である。つまり神との駆け引きで得るのはあくまで直感であり、概念的に何かを理解しているわけではないのである。



 神との駆け引きという世界観は、学問という意志を生み出した。すなわち社会の中で孤立しないために、神との駆け引きによる直感を概念化する必要がある。そして、それが私にとっての学問なのである。また直感だけに頼り何かが上手くいっても、それはその場限りの幸運でしかない。つまりそれだけでは計画性とは程遠く、次の意志と行動に繫がらない。しかし直感を概念化することで世界観はより精緻なものとなり、より明確な意志が生まれるだろう。



 つまり神との駆け引きという新たな世界観は、学問を必要とする。なぜなら私と世界との関係に決定的な意味を持つ神との駆け引きによる直感は、概念化しなければ他人に伝達できず、その直感だけに頼れば孤立するからである。そしてその概念化が、学問である。つまり新たな世界観は、学問という新たな意志を生んだのである。そして学問により世界観はより精緻なものとなり、意志をより明確なものとするだろう。



まとめ



 要するに世界観が意志を生むのである。まず最初に自覚した虚無感という世界観は感覚への意識の集中という意志を生み、その意志は虚無感を消失させ、神との駆け引きという新たな世界観を生んだ。しかし神との駆け引きによる直感は概念的内容を持たず、他人に伝達できない。だからそれだけに頼れば、孤立する。したがってその直感を概念化する必要があり、それが学問である。つまり神との駆け引きという世界観は、学問という意志を生んだのである。



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