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俯瞰的視点と知識




 今回は俯瞰的視点と知識の獲得の関係について考えてみる。「世界観という一貫した問題」で述べたように、虚無感を抱えていた。そのために地道に知識を蓄積することが出来なかった。感覚への意識の集中により俯瞰的視点を得、虚無感は崩壊した。しかしそれは、いわば一か八かの死に物狂いの跳躍であり、地道な努力とは違うと感じた。知識の蓄積という地道で段階的な行為と、俯瞰的視点の獲得がどう結びつくのかがわからなかったのである。



状況の統制



 まず俯瞰的視点の獲得による、目の前の状況に対する統制力の強化について述べる。それが後に俯瞰的視点の獲得と知識の蓄積について考える際に必要になる。



 冷静さを得た。「世界観という一貫した問題」で述べたように、虚無感が生む不快感を振り切るために感覚に意識を集中し、俯瞰的視点を得た。それは私にとり負荷の大きい行為だった。身体が軋むようだったが、それで死ぬなら死ねばいいと思った。そこまで必死になるのは初めてだった。その中で、一瞬一瞬に全力を尽くしていれば、そうそう失敗するものではないし、失敗したところで修正可能な範囲に収まるはずだと考えるようになった。それが力強い冷静さとなったのである。



 俯瞰的視点により、世界観を直観的に把握できるようになった。「世界観という一貫した問題」で述べたように感覚に意識を集中することで、今自分がここに存在するという現実感が対象化され、世界に対する俯瞰的視点を得た。ここでいう世界とは、客観的事実としての世界全体というより、私が意識している事物全体という意味である。意識していないものは、意識出来ないからである。つまりそれは、私が世界をどう感じ、どう考えるのかという世界観のことである。



 俯瞰的視点による世界観の直観的把握により、目の前の状況に対する統制力は高まる。自己イメージは世界観を構成する一要素として、それに従属するからである。「世界観という一貫した問題」で述べた通り、自己イメージと目の前の状況は不可分である。したがって目の前の状況も、同様に世界観に従属するのである。例えば先に述べたように、冷静さを得た。その結果、落ち着いて目の前の状況に対応できるようになった。



 つまり俯瞰的視点により、目の前の状況に対する統制力が高まるのである。私にとって世界とは自分が意識している事物全体のことであり、世界観のことである。そして俯瞰的視点は自らの世界観に対するものであり、自己イメージとそれと不可分の目の前の状況はそれぞれ世界観を構成する一要素として、それに従属するのである。例えば俯瞰的視点を獲得する過程で力強い冷静さを得、落ち着いて目の前の状況に対応できるようになった。



知識と世界観



 次に知識と世界観の関係について考える。これも後に考察する俯瞰的視点の獲得と知識の蓄積に関わってくる。



 子供時代、自分がこの世界をどうしたいのかがわからず、悩んだ。「世界観という一貫した問題」で述べたように、世界観が一貫して問題だった。子供のころは世界観とは、知識を体系的に構築したものだと思っていた。世界観を単に段階的に組み立てられる外界に関する知識だと考えると、「知って何になるのか」という疑問が生じる。極論すればこの世界の全てを知り尽くしたとして、そもそもそれでこの世界をどうしたいのかわからないのである。



 世界観は単に外界に関する知識ではなくなった。世界観が俯瞰的視点により常に予め直観的に与えられるならば、それは知る知らない以前の問題であり、「知って何になるのか」という疑問の入り込む余地はない。また世界観を自分が世界をどう感じ、どう考えるのかという自覚であると定義し直すならば、世界観は単に外界に関する問題ではなく、意識の内容となる。そして外界に関する知識も、「世界をどうしたいのか」という意志も、それぞれ世界観を構成する一要素である。



 知識は直観的世界観を概念化するために必要なものとなった。概念化とは言語化であり、多くの言葉や概念を知っている方が有利だからである。なぜ概念化が必要かといえば、直観は直接他人に伝達できないからである。社会と関わるには、直観的世界観の概念化が必要なのである。そもそも私の意志は、社会や文明の存在を前提としている。もともと学者志望だからである。私が一から作り出した、私にしか理解できない、私のためだけの学問など有り得ないのである。



 要するに世界観は俯瞰的視点によって直観的に把握されるものとなり、その直観的世界観を概念化するために知識が必要なのである。子供のころ世界観は、知識を体系的に構築したものだと思っていた。だがそれが単に外界に関する知識だとすると、「知って何になるのか」という疑問が生じる。しかし世界観が常に予め直観的に把握されるものならば、「知って何になるのか」という疑問の生じる余地はない。そして概念化には、多くの言葉や概念を知っている方が有利なのである。



俯瞰的視点の獲得と知識の蓄積



 最後に俯瞰的視点の獲得と知識の蓄積がどう繫がるのか考える。ここまで述べてきたことは、これについて考察するためのものである。



 これまで知識の獲得が、上手くいかなかった。「世界観という一貫した問題」で述べたように、虚無感を抱えていた。だからいかなる行為にも意味を見い出せなかった。したがって意欲に欠け、地道に知識を蓄積することが困難だったのである。虚無感は俯瞰的視点により消失したが、それは感覚への意識の集中により得られるものである。そしてそれが、瞬間瞬間の問題に感じられた。だからそれらも、地道に知識を段階的に蓄積していく行為とは、全く違うものに思えたのである。



 知識の獲得は、俯瞰的視点の統制下に入る。知識が必要とはいえ、当初感覚への意識の集中による俯瞰的視点と、知識の獲得がどう繫がるのかわからなった。しかし地道な努力の必要性も、目の前の状況の一部である。したがってそのような努力も、俯瞰的視点の目の前の状況に対する統制力の影響下にある。また知識の獲得と蓄積は、知識量という個人的能力の問題である。個人的能力とは目の前の状況の一部であり、俯瞰的視点の統制下にある。



 これまでの経過に対する世界観を軸とした統一的理解が得られた。まず「世界観という一貫した問題」で述べたように、自らの世界観を把握できないことから虚無感が生じた。そして虚無感が生む不快感を振りきるために、感覚に意識を集中した。そうすることで俯瞰的視点を得、直観的に世界観を把握できるようになり、その結果虚無感は崩壊した。そしてその直観的世界観の概念化のために知識が必要であり、知識の獲得と蓄積という一連の行為は俯瞰的視点の統制下にある。



 つまり知識の獲得は俯瞰的視点の統制下にある。そう考えることで、これまでの経過に対する世界観を軸とした統一的理解が得られた。俯瞰的視点により世界観を直観的に把握できるようになり、その直観的世界観を概念化するために知識が必要なのである。瞬間瞬間の問題に感じられる俯瞰的視点の獲得と、地道で段階的な知識の蓄積がどう繫がるのか始めはわからなかった。しかし地道な努力の必要性も、目の前の状況の一部であり、俯瞰的視点の統制下にあるのである。



まとめ



 要するに知識の獲得は俯瞰的視点の統制下にあり、そう考えることでこれまでの経過に対する統一的理解が得られるのである。まず俯瞰的視点の獲得により、目の前の状況に対する統制力が高まる。また俯瞰的視点により、世界観は直観的に把握されるものとなった。そしてその直観的世界観を概念化するために、知識が必要である。当初俯瞰的視点の獲得と、地道な知識の蓄積がどう繫がるのかわからなかった。 しかし地道な努力の必要性も、目の前の状況の一部なのである。



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