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統合性の回復




 今回は世界観の統合性をいかに回復するかについて考える。「世界観という一貫した問題」で、感覚に意識を集中することで俯瞰的視点を得、虚無感は崩壊したと述べた。しかし虚無感の崩壊により、その俯瞰的視点は失われたのである。そして俯瞰的視点を喪失したことで、世界観はその統合性を失った。感覚に意識を集中しようとしても、それがその場限りの感覚や気分の問題に止まり、世界観全体の問題へと発展させられなくなったのである。



世界観の概念化



 まず世界観の概念化について述べる。それが虚無感の崩壊に至る一連の過程に続く、新たな過程と考えるからである。



 一度考えを整理する必要があった。虚無感という明確な課題を失ったからである。何をもって前進とすべきかわからなくなったのである。「世界観という一貫した問題」で述べたように虚無感を抱えていたが、それは崩壊したのである。あらゆる行為が、それによって何が変わったのか、もっと上手い方法はないのかなどという強迫的思考を生み、身動きが取れなくなった。自分の置かれた状況に不満を抱きながら、何が問題で、どうすべきかわからなくなったのである。



 世界観を概念化するようになった。まず感覚や思考を単に時間の経過に沿ってなぞった。やがて自らの感覚や思考を自覚的に概念化するようになる。概念化とは、直観により把握したものに名前をつけ、その意味を定義し、そのようにして生み出した概念をさらに組み立て、新たな概念を作り出すということの繰り返しである。世界観を、世界をどう感じ、どう考えるのかという自覚であると定義するなら、感覚や思考の概念化とは世界観の概念化である。



 世界観の概念化は、虚無感崩壊に至る一連の過程に続く、新たな過程と考える。「世界観という一貫した問題」で述べたように、世界観を把握できないことが虚無感を生んだ。そして感覚に意識を集中することにより、俯瞰的視点を得、直観的に世界観を把握できるようになった。その結果虚無感は崩壊した。つまり虚無感とは世界観の問題であり、虚無感崩壊はその問題におけるひとつの通過点である。そしてそのような理解は、世界観の概念化により可能だったのである。



 つまり虚無感という課題を失い、一度考えを整理する必要があった。そして感覚や思考を概念化するようになった。世界観を、世界をどう感じ、どう考えるのかという自覚であると定義するなら、感覚や思考の概念化とは世界観の概念化である。虚無感とは世界観の問題であり、その崩壊は世界観の問題におけるひとつの通過点である。そのような理解は世界観の概念化によって可能であり、世界観の概念化は、虚無感崩壊に続く新たな過程である。



虚無感崩壊後の状況



 次に虚無感崩壊後の状況を、現在どう考えているのか述べておく。いまだにその状況から抜け出せずにいる。



 虚無感崩壊に至る肯定的変化が支える意欲が、感覚への意識の集中を駆動した。「世界観という一貫した問題」で述べたように、感覚に意識を集中することで自らの世界観に対する俯瞰的視点を得、虚無感は崩壊した。感覚への意識の集中は、単に感覚や気分の問題ではなく、世界観の問題なのである。そして虚無感崩壊に至る一連の過程を肯定的変化と捉え、それが意欲を支えた。その意欲が感覚への意識の集中を駆動したのである。



 世界観の統合性を失った。虚無感の崩壊により、意欲を支えた肯定的変化は終息したのである。その結果感覚への意識の集中はその駆動力を失い、俯瞰的視点は失われた。俯瞰的視点の喪失により、世界観はその統合性を失い、断片化した。いくら感覚に意識を集中しようとしても、それは感覚や気分の問題に止まり、世界観全体の問題へと発展しなくなったのである。世界観全体を意識できず、世界を目の前の現在という一点でをなぞるだけなのである。



 いまだに虚無感崩壊により失った世界観の統合性を取り戻せずにいる。世界観とは、過去、現在、未来を含んだ世界全体に対するものである。しかし世界観を概念化するようになったと言っても、実際には過去の記憶を概念化しているに過ぎない。つまり俯瞰的視点の喪失により、世界観全体を直観的に把握できないのである。感覚への意識の集中も世界観の概念化も部分的問題に止まり、それらを世界観全体の問題として統合出来ずにいる。



 要するに世界観の統合性を失ったのである。虚無感崩壊に至る一連の過程を肯定的変化と捉え、それが意欲を支えた。その意欲が感覚への意識の集中を駆動し、自らの世界観への俯瞰的視点を得たのである。しかし虚無感の崩壊によって意欲を支えた肯定的変化が終息し、感覚への意識の集中はその駆動力を失った。その結果俯瞰的視点を失い、世界観はその統合性を無くした。感覚への意識の集中と世界観の概念化を、世界観全体の問題として統合出来ないのである。



世界観の統合性



 最後に世界観の統合性をどう取り戻すかについて考えてみる。



 意欲を取り戻せるのではないか。虚無感崩壊に至る一連の過程を肯定的変化と捉え、その変化が意欲を支えた。そして虚無感の崩壊により、その意欲を支えた変化は終息した。しかし虚無感の崩壊が世界観の問題におけるひとつの通過点であり、世界観の概念化が虚無感崩壊に至る一連の過程の延長上にあると考えるなら、終息したかに見えた変化は世界観の概念化という形で継続していることになる。そう考えることは、意欲の回復に繫がるだろう。



 意欲が回復することで、俯瞰的視点は必然的に取り戻せる。つまり世界観の概念化が虚無感崩壊に至る一連の過程の延長上にあると考えることで、意欲を回復させる。その意欲によって感覚への意識の集中を駆動し、世界観への俯瞰的視点を得るのである。それは感覚への意識の集中を、単に感覚や気分の問題ではなく、世界観全体の問題に発展させることである。そうすることで世界観全体を直観的に把握できるようになる。



 世界観の統合性を回復する。つまり世界観に対する俯瞰的視点を取り戻し、世界観全体を直観的に把握するということである。それを概念化することで、概念化を世界観全体の問題とすることが出来る。またそれは感覚への意識の集中による直観と、世界観の概念化を世界観全体の問題として統合することである。なぜ世界観の統合性が必要なのかはわからない。ただ意欲を回復することで、それは必然的に獲得できるだろう。その結果何が起きるか見るしかない。



 つまり意欲を取り戻すことで、世界観の統合性を回復できる。虚無感崩壊に至る肯定的変化が、世界観の概念化という形で継続していると考えることで、意欲を回復する。その意欲によって感覚への意識の集中を駆動し、俯瞰的視点を得、世界観全体を直観的に把握する。それが世界観の統合性の回復である。そして直観的に把握した世界観を概念化することで、概念化を世界観全体の問題とすることが出来る。それは直観と概念化を世界観の問題として統合することである。



まとめ



 要するに世界観の概念化を虚無感の崩壊に連続する肯定的変化と捉えることで、意欲を回復し、世界観の統合性を取り戻そうというのである。虚無感という課題を失い、世界観を概念化するようになり、虚無感が世界観の問題だったことを理解した。世界観の概念化を、虚無感崩壊の過程で感じた意欲を支える肯定的変化の継続と考え、それにより感覚への意識の集中を駆動し、世界観に対する俯瞰的視点を得る。その結果世界観の統合性を取り戻す。




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