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当面の方針




 「統合性の回復」で統合性を回復すると述べたが、今回はもう少し具体的に当面の方針について考える。



瞑想とフィードバックの連鎖



 まず「世界観という一貫した問題」や「統合性の回復」で述べた虚無感崩壊の過程で、具体的に何をし、何が起きたのか述べる。そうすることで、今後の展開をより明確にすることが出来るだろう。



 自分が、今、ここに存在するという現実感が明瞭化した。まず世界の感触があった。それは空間的広がりを持つものであり、自分が、今、ここに存在するという現実感である。「世界観という一貫した問題」で述べた感覚への意識の集中とは、具体的行為としては、自己流の瞑想だった。そうすることで熱く涼しい風のような感覚を得た。いわゆる「気」というものだろう。世界の感触の空間的広がりに、気感が充填され、自分が、今、ここに存在するという現実感は明瞭化した。



 自分の精神と肉体を含む世界に対する俯瞰的視点を得た。自分が、今、ここに存在するという現実感が明瞭化することで、それが明確に対象化されたからである。つまり対象化するとは、その対象から距離を取るということである。自分が、今、ここに存在する現実感とは、自らの精神と肉体の存在感そのものであり、その外側に出ることで外界の対象と自らの精神と肉体は等価となったのである。そして感覚や気分から切り離された冷静さを得た。



 フィードバックの連鎖が生じた。すなわち、自分の意志と行動に状況がどのような反応を示し、それを自分はどう感じ、どう考えているのか、そのように感じ、考えている自分をどう考えるのか、それら全体を踏まえ、次に何を考え、どう行動するのか、そのようなフィードバックの連鎖である。それはものすごい速さで直観的に進行した。自分という一点でこの世界を包囲しているような、いわばそれは世界そのものとの駆け引きであり、その手応えが俯瞰的視点を強化した。



 感覚への意識の集中とは、具体的行為としては瞑想であり、それにより俯瞰的視点を得たのである。 自分が、今、ここに存在するという現実感である世界の感触に、瞑想で得た気感が充填され、その現実感が明瞭化し、明確に対象化されたのである。つまり自らの精神と肉体と外界の対象が等価となったのである。そしてフィードバックの連鎖が生じた。それはいわば世界そのものとの駆け引きであり、その手応えが俯瞰的視点を強化した。



新たな状況認識



 次に先に述べたことを踏まえ、虚無感が崩壊した後に何が起きたのか述べる。



 フィードバックの連鎖は途切れた。「世界観という一貫した問題」で述べたように、虚無感は世界観を把握できないことから生じた。それは状況が上手く認識できないということであり、状況が把握できないという明確な状況認識である。その状況認識の中でフィードバックの連鎖は生じた。しかし虚無感の崩壊により、その認識は覆された。その結果、何をもって前進とすべきか判断が付かなくなったのである。



 瞑想を続けられなかった。瞑想は虚無感が生む不快感を振りきるために始めた。虚無感が崩壊し、それは目的を失った。虚無感崩壊後の混迷による失望と苛立ちの中で、いたずらに変化を求めるようになった。あらゆる行為が、それによって何が変わったのか、もっといい状態はないのかといった、きりのない強迫的思考を生む。もともと私にとって負荷の大きい行為であった瞑想は、その思考によってより負担の大きなものとなったのである。



 世界観の概念化という、新たな状況認識を得た。虚無感という状況認識を失い、俯瞰的視点を喪失した。フィードバックの連鎖は途切れ、瞑想を続けられなくなったことで気感を失い、世界の感触まで消えたからである。しかし「統合性の回復」で述べたように世界観の概念化を新たな過程と捉えるなら、その状況認識の中で新しい意志と展開が生じるはずである。また状況認識が明確となれば、その中で何をすべきか冷静に考えればいい。闇雲に変化を求める必要はない。



 つまり虚無感の崩壊により、フィードバックの連鎖が途切れ、また瞑想も続けられなくなったのである。フィードバックの連鎖は虚無感という状況認識において生じたものであり、その崩壊により何をもって前進とすべきかわからなくなったのである。また瞑想は目的を失い、強迫的な変化の希求によりその負担が増大した。しかし世界観の概念化を虚無感崩壊に続く新たな過程と捉えるなら、その状況認識の中で新たな意志と展開が生じるはずである。



当面の方針



 最後に世界観の概念化という新たな状況における、当面の方針について考える。



 瞑想に勉強を組み合わせる。瞑想だけを再開しても何らの新たな達成でもなく、意欲を維持できない。また概念化とは言語化であり、多くの知識があった方が有利である。本来数学が好きだった。しかし虚無感により根気を失ったのか、勉強を進められなかった。そして数学には強い挫折感が植えつけられた。一方例えば英語などは子供時代に真剣に取り組んだことがなく、挫折経験がない。そのような心理的負担の少ないことから始め、そこから他のことに関心を広げていく。



 外国語の修得は、世界観の概念化に役立つだろう。外国語の修得は、母国語のそれより自覚的なものである。したがってそのことにより、言語の使用により自覚的になれる。概念化とは、直観により捉えたものに名前をつけ、その意味を定義し、そのようにして生み出された概念をさらに組み合わせ、新たな概念を作り出すということの繰り返しである。だから自覚的な言語使用は、世界観の概念化にとって重要である。



 TOEICを受けることにする。英語の修得を世界観の概念化に役立てるなら、私にとって英語が出来るとは、考え抜かれた知的な英文が書けることを意味する。それが出来るようになるには、相当量の読み書きをこなす必要がある。しかし英語の読み書きが負担で仕方ない。まずもっと楽に英語の読み書きができるようにする。TOEICで満点が取れるようになれば、今よりは英語の読み書きが楽になるかもしれない。



 要するに瞑想と勉強を組み合わせる。瞑想だけを再開しても何らの新たな達成でもなく、意欲を維持できないし、概念化とは言語化であり、多くの知識があった方が有利だからである。自分にとって心理的負担の少ない英語から始め、そこから関心を広げていく。また外国語の修得により、より自覚的に言葉を使用できるようになる。それは、世界観の概念化に役立つだろう。とりあえず英語の読み書きが楽に出来るようにする。



まとめ



 瞑想と勉強を組み合わせる。感覚への意識の集中とは、具体的行為としては瞑想であり、それにより俯瞰的視点を得た。フィードバックの連鎖が生じ、それにより俯瞰的視点は強化された。しかし虚無感の崩壊により、フィードバックの連鎖は途切れ、瞑想も続けられなかった。しかし世界観の概念化において、新たな意志と展開が生じるはずである。概念化には知識があった方が有利である。私にとって心理的負担の少ない英語から勉強する。



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Comment
旧ブログから地道に読んでます。
> 旧ブログから地道に読んでます。

わざわざ読んでいただきありがとうございます。
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Re: タイトルなし

>非公開コメントをくれた方

コメントありがとうございます。

勉強には多少慣れてきて、理解と記憶に要する時間と労力は減りつつあります。一方、料理は以前したことがあるのですが、私には向いていないようです。すごく負担でストレスになりました。慣れていないだけかもしれませんが。
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三室戸弘毅

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    うつ病をきっかけに、15の頃から20年以上ひきこもってます。
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